桃栗燕越南記録

2004年〜2014年の10年間仕事でベトナムに滞在。一度帰国した後、2015年桃と一緒になって燕が生まれて子育てベトナム生活が始まる。日々の記録とアウトプット。

魔の三週目とやら

梅雨はまだあけてないが

ガン晴れ三日目。

くそ暑いわい。


隣町で最高気温38度越え

海開きしたと記事があったけれど

38度で海水浴に行く勇気はない…

大抵のベトナム人は

日が昇りきる前の朝と

日が沈む頃の夕方にしか

海で泳がない。

…賢いと思う


ベトナムも勿論

年中暑いのだけれど

日本の猛暑はやはりヤバい。

しかしながら

インドの40度超え気温とかに

比べるとまだ序の口と思うべきか…


幸か不幸か

授乳のため

デカくなった乳の下に汗疹。


ENは生後19日目

理由不明で

よく泣くようになってきた。


新生児の泣きは

ミルクとオムツと眠い

暑い寒いだけわかれば

なんとかなると思っていたのだが

(本とかにそう書いてある)

赤ちゃんの何かを調べていた時

たまたま他の項目に

「魔の三週目」なる

気になるタイトルが。


丁度今、三週目。

そう、まさしく、

15日の夜から突如

オムツを替え授乳した後に

大泣き

なんや!?と少々焦るも

10分後、ぴたっとおさまり寝た。


それ以降

10分なんか可愛いもので

日毎に起きている時間と

グズる時間が比例して

長くなり、今や4時間起き。


そして寝付いたと思ったら

タイミング悪く電話音!

そしてまた大泣きが始まって

時間がそんなにたってないけど

もうミルク飲ましたる〜と

わさわさしてたら

あっという間に5時間、6時間

合間にちょいちょいは寝てるけど

その繰り返し


この辺りで多くが

産後鬱というものに

陥りやすいらしい。


理由がわからないというのは

精神的ストレスに繋がるのだな。


しかも赤ん坊ってのは

言葉が出来ないけど

なんだかみょ〜に

勘がよくて

こっちが困ると余計に泣くのだ。

…余裕って思ってても泣くけど…。


うまく過ぎれば一週間で

魔、が終わったり

2ヶ月続いたり色々らしい。


魔の間は中々長いが

たまに穏やかな顔を見せられると

そら可愛いのである


赤ん坊観察とでも思って

気楽に世話をするに限る!



金額比較

7月になった。

まだ梅雨とはいえ

合間にみえる晴れの日は

もうすっかり夏模様である。

まだミカンの花が香っていた頃に

お腹重く帰国して来た日々が

懐かしく感じる。


母乳、ミルク、オムツ替え

時々ぐずり抱っこあやし

日々この繰り返しであるが

こうやって日に日に

大きく重くなっていくのだな。



忘れぬうちに

今回のベトナム&日本でかかった

出産費用とベトナムのみで

産んだ場合と比較したものの記録。



ベトナム最終健診時(妊娠30週までの8回診察)にまとめた

ベトナム外資系の病院で

かかった費用は交通費含めて

約¥160,000


のち、帰国してから32週目から

産まれるまで

6回健診があり

大阪市の補助券を使いながら

かかった診察代が

合計¥10,160

それにプラス出産入院費用が

合計¥445,760


総合計¥615,920

出産育児一時金¥420,000を引いて

¥195,920なり


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ベトナム外資系病院のみの場合

これは途中までの費用から残りの健診をした場合から出した

推定金額とネット上にかかれてあった分娩と入院費用の合計


推定の健診代合計 ¥240,000

分娩入院費用 ¥200,000

合計¥440,000


健診代の日本の補助券は使えないが

出産育児一時金は保険に入っていれば貰えるので同じく¥420,000を

差し引いて

¥20,000なり


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やはりベトナムオンリーで

いくとそこそこは安いんだな

(フランス資本で外資系病院の中では安めとの事。日本人がいる病院の金額はもっと高いと思われる)


ローカル病院だと更にこの額の

3分の1なのでベトナム人の

知り合いからはよく

子ども産む予定も

なかった頃から

安いからこっちで産め!

と勧められた、笑 


とはいえ、ベビー用品とか

ローカルじゃないものを買えば

日本の2,3倍の値段がするだろうし

産後すぐ1人で赤ちゃんの

世話と家事できるか?で

お手伝いさん雇えば

またお金がかかる。


日本だと

すっかりオカンに世話になって

だいぶ楽させて貰っている。


我が子を長らく見れなくなる

桃には申し訳ないが

もうしばらく独身時代とでも思って

生活してもらお。

ベトナム戻りの日程は

ボチボチ話し合っていきましょう。






その後

産後11日目


抜糸後は痛みがだいぶ和らいだので

動けるようになってきた。

悪露は今だ夜用ナプキンサイズ。

プヨプヨの腹は相変わらず

地道に出来る体操を始める。


産後の体型戻しは

身体が回復する一ヶ月後から

半年の間が骨盤が元に戻る期限に

合わせて勝負なんだとか。


坊は日に日に大きくなる実感があって面白い。

体重は産後すぐと

あまり変わらないはずなのに

顎が二重になり

腕がムチムチしてくる。

親バカというのが

どうしてなのかわかる。

単純に小さい生き物の存在が

見ているとそれはもう可愛いに

尽きるからだ。

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桃の手と比べて1/10ほど?


18年程かけてこの大きさか…

人間の成長とはまったく

早いような遅いような


弟夫婦が子供の写真アップに

使っていた

みてね という写真共有アプリを

使い始めた。

親バカも大概にしろと思われる

レベルでの写真アップの頻度なので

招待出来るのは家族と

仲の良い親族までが

ギリ許される範囲かな…


他のSNSに上げて

ひっそり知り合いに

うんざりされる必要がないので

中々便利なアプリである。


桃の長い熊野滞在は本日いっぱい

明日は出張で東京

その後大阪に帰ってから

サイゴン戻り。


人生の中でこんなに長く熊野で

過ごすのは後にも先にも

今回限りじゃないだろうか、笑

今月の走行距離は100キロを

超えた様子。


さてこれから

次会える時まで

坊をしっかり責任持って

育て上げんと。


私のベトナム戻りまで

ベトナム要素一切ねぇし

タイトル変えて

当分は子育て日記 for momoに

すっかな〜





産後から退院まで

出産してから早9日

今日は産後から退院までの記録



産後すぐの夜は

自分も体力がなく睡眠不足だったので看護師さんが赤ちゃんを預かってくれた。

おかげでぐっすり。

産後悪露、出血がすごい。
尿パッド+ナプキン二枚重ねでも間に合わない。これだけ血が出ても生きている出産の不思議…

産後出された薬は
子宮収縮止血剤と
抗生物質を毎食後に4日分。

出産したらお腹がすっかりへこむのかと思い気やポッコリボヨボヨのお腹が…見た目は妊娠七ヶ月?
見た目は悪いが
10ヶ月働いてくれた子宮に
とても感謝の気持ちが湧いてきて
ありがとうと腹をさする。

お尻付近を縫合しているので
寝返りもロクに打てないぐらい
ケツが痛いが、
先生から 
恐れて便を我慢しないように!
便秘になったら余計に辛いよ、
とのアドバイス。
確かにこれで便秘になったら肛門ならぬ拷問!
と、恐れをなしていたものの
良い具合に便意現る。
日に二回は快便過ぎて
赤ちゃん押し出したから
肛門付近が緩んだのだろうか。

病院食が中々美味く
毎食バリエーションに富んで嬉しい。

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ただ量が多く
普段の1.5倍ぐらいあり
入院初日はびびって
みんなで食べよう
とか言っていたのに
産んだ後からは
脳が 食え 
と指令を出しているようで、
毎回ほぼ完食。

出血も凄いし乳も出さねばだしね、と理由を付けて食いまくってたら
妊娠中とあまり変わらない
体重になるのは時間の問題かも…
同時期に産んだ人の下膳したものを
覗くと半分ぐらいしか
食べていなかった…あら"

1日目の朝から赤ちゃんと
一緒に過ごす。
桃は仕事もあるので
家と病院を行き来。
夜仕事が終わると走って
病院までやってくる。
(熊野滞在時にシュッとなった様)

初日の夜から
赤ちゃんがグズってグズって
一睡も出来ないという
子育て洗礼を受ける。
ちょっと異常じゃない?という
2人も限界超えで
朝5時になってナースコール

ブドウ糖を飲ませてくるねと
その後少し預かってくれる。

結局、初日はまだ出ない母乳で
練習的に咥えさせ吸わせて1日を
過ごしており
全くミルクをやっていなかったので
赤ちゃんがお腹が空いて
泣いていたのだと思う。

産まれて3日ぐらいは栄養
蓄えてるから大丈夫よと
初日担当してくれた
看護師さんに言われていたけど
次の日助産師さんに
あら、昨日全くやってないの?と
少し驚かれた。
申し送り不十分感…。

二日目から
ミルクの作り方と飲ませ方
ゲップの出し方を教えて貰う。
その後は夜泣きで
全く寝られない事もなくなり安定し
母子共に元気に退院!
と思いきや。。

退院前の内診で
まず、抜糸
涙ちょちょ切れそうな痛さ。
ものの五分だったけれど。
そして、
悪露の掻き出しと消毒。
少し出血があるかもとの事で
50cmはある長さの
どデカイ尿パッドを付けられる。

内診終わって
病室に戻ると退院の迎えに
早めにオカンが来ていた。
抜糸して来たわー!と
立ち話を始めたその時
ちょろっと悪露が漏れ始めた?
あ、あ、なんか、これは
ヤバげ…
一瞬にして
足を伝って血がだだ漏れる。

丁度通りかかった助産師さんを
慌てて呼びつける。

病室の床が血だらけの惨状に…

子宮にたまっていた血液が
掻き出した事によって一気に
出て来ただけだから大丈夫、と
落ち着かせてくれる。
時々こういった人がいるようだ。

自分自信の意識はそんなに
慌てはしなかったけれど
知らないだけに
ん、もしかしてヤバい状況?
うっかり死んだりする?
などと一瞬の出来事の中で
考えてしまった。

片付けて貰って一呼吸つくも
目の前が白くなり目眩
産後、貧血があると
診断されていたので
血圧も更に下がって
内診後、元気に退院!のはずが
夕方まで横になる事に…

それでも夕方にはなんとか
起きれるまでになって
よれよれのまま無事退院。

出産は本当に何があるか
わからない事を実感。

分娩より衝撃だった退院日
あの出来事がもう遠い昔のように
思える母の脳の切り替えもまた
すごい。














無事出産

無事産まれる。

出産当日の様子を記録。


遡って6/15


陣痛の間隔が5分以内になり
産院に電話すると入院準備を持って病院に来て下さいとの事。

7時病院入り
すぐ内診をすると
もう破水していると言われる。
いつ破水したの?!と驚かれて
特に先日のピンクのサラサラのオリモノから変化はなかったように思ったので、金曜?と曖昧に返事すると
えぇ〜となって感染予防に
すぐ抗生物質の点滴。

実際は、
病院に来てから出てくる水の量が多くなったので、結局陣痛とジャストで破水したのか、金曜に始まったものが破水だったのかは謎。

あの時病院に電話で確認したんだけどな…とは思いながらも、気になるならやはり病院に行って診て貰えば良かった。

何にしても子宮口も3cm開き出しており順調そうとの事。

入院時間が朝だったのでいきなり8時に朝ご飯が出される。
食えねぇよーと言いながら体力が必要ですよと言われ少し食べるも
後ほど痛みに伴い気分が悪くなり
結局全部吐いてしまう。

お昼前にまた内診
子宮口5cmは開いて来たけれど
陣痛のスピードが遅いとの事。

もう充分痛いのにこれでもまだまだなのか…?
先生曰く、顔を見ればまだだってわかるよー、まだ全然余裕そうだもの。痛いけど、確かに無駄口叩ける。
そこでいきなり陣痛促進剤使うか?と聞かれる。
え、そういうの自分で判断するものなんすか…?
アドバイスは特になく、じゃあお母さんと旦那さんと相談して下さいね〜と病室に帰される。
相談。。全員、そんなん聞かれてもわからねえわなと…
リスクがないに越した事はないが
結局、先生や助産師さんたちの雰囲気も見て使って貰う事に。

後から考えると
割と高い金額(1〜5万円)になるから
切迫してない状況だと保険が降りないので病院側からはなんとも言えないのかもしれない…

再度、促進剤の点滴スタート。
ジワジワ点滴の量を増やしていくので、痛みもジワジワ間隔が長くなっていく。
ゲロいて〜、、、
痛みで脂汗
痛みを訴えてもどうにもならんので
ひたすら耐える。

痛みと痛みの間隔が2分
痛みの長さが1分20秒程を過ぎる頃分娩室へ。

子宮口8cm 
膣をぐりんぐりん広げられてる感。意識は痛いばかりなので
もう何やられてもええわいといった感じ。

いきみの練習をやらされる。
陣痛は激しくなっているのに先生が来るとどうも陣痛が遠のいてまだまだ無理と言われる。
助産師さん達が先生癒し系なんじゃない?とかジョーク言ってる。
促進剤の投入スピードを早める。

練習から30分程経ったか
朝の3時から陣痛が始まり出して既に13時間が過ぎる。
のたうち回りたくなる汗だらだらの痛さになってくる。
いけそう?と聞かれて、
いけるかわからんが、兎に角この痛みから早く脱出したいとの思いでいける!とGOサイン出すと
本格分娩台セットの用意が始まる。

背が低いからか踏ん張るための足を置く台がフィットしない…
助産師さんたちが四苦八苦合わせようとしてくれたけど最後は半端に綿を足の裏に詰められ若干浮いた感じのまま、、、
そのまま足を固定されその上にビニールをかけられ、手はいきむために肘をはって指定のハンドル?を掴む。(これがまた距離がギリで微妙〜)

分娩の準備が出来たのが4時半頃だっただろうか。

いつでも陣痛のタイミングでどうぞとの事。
確かここで桃が立会いで入ってきたんだっけな。
痛みはもう波のようにやって来るので心配せずともいきむタイミングはわかる。

何度も、
う◯ち出す気持ちでと教えられる。

自分で感じる陣痛のピーク時に
思いっきり息を吸い込んで
息を止めてから
目を開いて
口はしっかり閉じて
息が漏れないように
出来るだけ長い時間いきむ
いきみまくる。

いきみがうまいうまいと褒めて貰えたのでより頑張る気になる、笑 

とはいえ
もう少し、もう少し!と言われながら最後の一踏ん張りが足りていない様子。
しかし体力も落ちてくるので
出せるのか不安になってくる。

もういい加減出ないとというところで会陰切開とたぶん更に取り出せるように何かズボッと拡げるような機械を取り付けられた感。

後からわかったが
これが鉗子で
鉗子分娩だったのだ。

そして最後に出し切れる力最大の踏ん張りと先生達の踏ん張りで、、、
(心臓マッサージの腹バージョンとでも言う先生の頑張り…)


にゅるりん

ンゲ、ンゲ、ホンゲーッ!


出たーーーやったーーー

17:03
3364g
49cm

私の身体に対して
だいぶサイズが大きかったのと
臍帯が首に絡んで
引っかかって出にくかったようだ。

赤ちゃんの骨の縮まりや
母体の骨盤の開き具合までは事前に測りしれないから
ギリギリになっても
帝王切開の可能性があるから
自然分娩出来て
良かったねと言われた。

しかし会陰切開以上に
肛門付近まで避けてしまった様子。
出産後の縫合が
麻酔されているとはいえ
中々冷や汗ものだが
兎に角無事産めたのだからと
脳を必死で切り替え振り切る。

大変には違いないが
巷で言われる
鼻からスイカが出る痛さ??とか
意識が朦朧として覚えていないなどと言ったレベルではなかったように思う。

産後
感動で号泣するんじゃないかと思っていたのに、(産前、TVのちょっとしたシーンで涙が出たりしたので)
いや〜無事出てきましたな〜と
桃に語る冷静な自分がいた。
立ち会った桃も割と普通感。

想像した程に
体力が落ちた気はしなかったが
起き上がると
胃の下がぽっかり空いたからか
妙な違和感と動悸。
動けるまでそのまま一休み。

結局担架でそのまま
大げさに病室移動してもらう。
(病室の隣が分娩室で良かった)

さっきまでお腹の中にいたコが
息をして横にいる。

不思議な気持ちでいっぱいでその夜を過ごす。


陣痛来たかな

午前3時頃

トイレに起きると共に

腹痛を感じて寝れなくなる


その後割と定期的に腹痛が

来ているような気がしたので

時間を計って記録始めてみる。


8:18

8:17

9:15

14:00

8:45


書き出すとトイレに行った時を

除けば中々定期的な周期

その後も5分〜10分の間を保って

腹くっそいてぇ〜

腹痛の時間は約1分

1分我慢したら

ちゃんと収まるので

痛いながらに冷静ではいられる。

こうして書けるぐらいなので

まだまだ本場の痛みではないのだろうね…


面白い事に?

痛みの波が来る少し前に

胎動がすごい


そして陣痛計測し始めて

3時間経ったところで

別の腹痛

一気に下痢になって出る…


長い人は陣痛が始まってから

24時間かかるとか…

今日は6/15

なんとなく良い数字だけど


それにしても

昨晩なんとなく

これよくないか?という名前が

出てきたからか

陣痛始まったの、笑


さて

今日のその後

無事動きがあれば

こちらのブログは当分おやすみ

(産院にネットないので)


良いご報告ができる事を

願います!







予定日過ぎ3日目

この際産まれるまで

毎日日記ブログを書こう。


お腹の張る時間が長くなり

立ったり座ったりがかなり億劫。

お腹が張っていると

胎動もよくわからないので

若干心配になる。

昨夜は結構身体も重く

張りが長いので

明日診察に行ってみようかと

話していたけれど

今朝起きると割と普通

夜少しお腹が痛み

寝付きが悪かったけれど

朝ご飯後に眠くなり

少し寝れると元気になって

胎動も問題なく感じるように。


梅雨入りはしたけれど

2,3日に一度は晴天。

湿度は高いけれど晴れ間があると

元気な気分になる。


体調不良気味だとそろそろか!?と

焦った気分になるけれど

割りかし元気になると

こりゃあまだまだ

産まれないなと思う。


最近始まったドラマのワンシーンに

一瞬壮絶な出産シーンが。。

出産のシミュレーションは

ある程度してみても

やはり想像を絶する事に

なりそうだな…

まぁ起こり得るままに受け入れるしかないのだけれど。


他人事はあっという間に

過ぎるのに

自分事が過ぎるのはなんて遅いのだ!