手紙
燕の予防接種の病院が郵便局のすぐ近くだったので
すっっっごい久しぶりに郵便局に来た
そしてすっごい久しぶりにベトナムから手紙を出した
重さを計ってもらったら
その分の切手をぽいっと渡される
自分で好きな箇所に貼って
確かポストに入れても良いし
そのまま受付のお姉さんに渡してもよい
切手貼るのとか
妙にテンション上がる
日本みたいにシールの切手はまだ売られていないみたい
メールとかラインがこんなに簡単にできるようになると
手紙なんて書かなくなるよねえ…と思ったけど
いざペンを持って紙に向かうと
何かしら考えて考えて
じわじわ 出す
って感じ
日ごろそういう作業を中々しないから良いかも(ぼけないよ)
ラインやメールは久しぶりの人でない限りは
現状のやりとりとかしかしないしね
紙につらつら書いてみると自分でも思いもしなかった方向とかに
話が進んでしまったりして
それはそれで面白いなと思った
あ、ブログはある意味手紙的要素が高い気がする
ただ誰に向けてという限定がないので
収拾がつかなくなる確率が高い*1
まあ今回の手紙の内容といっても
ほぼ現状のやりとりだったかもしらんが…
自分が書いた事は忘れる…
書くだけ書いて出さなかったものも過去に沢山あって
それは単純に郵便局に行くのが面倒ってだけで…
それでその内容がすっかり古びてしまって
時々一気に処分する
読み返すとそれはなんでか恥ずかしいものである
あの時手紙を出せてたら
いまだにつながっていた友達もいるかもな~
(学生時代の住所禄をなくしたのだ)
まあ縁とはそういうものか
学生時代に仲が良かった子で
ずっと気になっている友達が一人いて
震災以降色んな良くない事が重なって
ちょっと様子がおかしくなったみたいで
共通の友人全部えんがちょしちゃっていて
誰も彼女のその後を知らない
探しても探しても彼女の実家の住所も見つけられない
私はベトナムにいてそのころの彼女に会っていないから
私だったら様子がおかしくなったあいつを
なんとかできたんじゃないだろうかと
思ってしまう
未だに時々元気にしていてバカを言ってる彼女の夢を見る
夢を見ては、なんだ 変わらず連絡取れていたじゃないかと安堵
起きて夢だったとがっかりする
会えなければそれまでの縁なんだけれど
脳の隅っこにずーーと消去されずにあるのだ
震災以降だからもう6年か
このまま会えなければ
いつか夢にも出なくなるんだろうか
なんて感傷深く思っていて
他の友達がもう今まで通り普通に会っていて
知らないのは私だけとかだったら笑えるけど
なんか、、この子の話は前にも書いたっけ。。。
過去のブログを読み返すと
こんなことも書いてるやんけ!とびびる自分がいる。
*1:´∀`