桃栗燕越南記録

2004年〜2014年の10年間仕事でベトナムに滞在。一度帰国した後、2015年桃と一緒になって燕が生まれて子育てベトナム生活が始まる。日々の記録とアウトプット。

産後から退院まで

出産してから早9日

今日は産後から退院までの記録



産後すぐの夜は

自分も体力がなく睡眠不足だったので看護師さんが赤ちゃんを預かってくれた。

おかげでぐっすり。

産後悪露、出血がすごい。
尿パッド+ナプキン二枚重ねでも間に合わない。これだけ血が出ても生きている出産の不思議…

産後出された薬は
子宮収縮止血剤と
抗生物質を毎食後に4日分。

出産したらお腹がすっかりへこむのかと思い気やポッコリボヨボヨのお腹が…見た目は妊娠七ヶ月?
見た目は悪いが
10ヶ月働いてくれた子宮に
とても感謝の気持ちが湧いてきて
ありがとうと腹をさする。

お尻付近を縫合しているので
寝返りもロクに打てないぐらい
ケツが痛いが、
先生から 
恐れて便を我慢しないように!
便秘になったら余計に辛いよ、
とのアドバイス。
確かにこれで便秘になったら肛門ならぬ拷問!
と、恐れをなしていたものの
良い具合に便意現る。
日に二回は快便過ぎて
赤ちゃん押し出したから
肛門付近が緩んだのだろうか。

病院食が中々美味く
毎食バリエーションに富んで嬉しい。

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ただ量が多く
普段の1.5倍ぐらいあり
入院初日はびびって
みんなで食べよう
とか言っていたのに
産んだ後からは
脳が 食え 
と指令を出しているようで、
毎回ほぼ完食。

出血も凄いし乳も出さねばだしね、と理由を付けて食いまくってたら
妊娠中とあまり変わらない
体重になるのは時間の問題かも…
同時期に産んだ人の下膳したものを
覗くと半分ぐらいしか
食べていなかった…あら"

1日目の朝から赤ちゃんと
一緒に過ごす。
桃は仕事もあるので
家と病院を行き来。
夜仕事が終わると走って
病院までやってくる。
(熊野滞在時にシュッとなった様)

初日の夜から
赤ちゃんがグズってグズって
一睡も出来ないという
子育て洗礼を受ける。
ちょっと異常じゃない?という
2人も限界超えで
朝5時になってナースコール

ブドウ糖を飲ませてくるねと
その後少し預かってくれる。

結局、初日はまだ出ない母乳で
練習的に咥えさせ吸わせて1日を
過ごしており
全くミルクをやっていなかったので
赤ちゃんがお腹が空いて
泣いていたのだと思う。

産まれて3日ぐらいは栄養
蓄えてるから大丈夫よと
初日担当してくれた
看護師さんに言われていたけど
次の日助産師さんに
あら、昨日全くやってないの?と
少し驚かれた。
申し送り不十分感…。

二日目から
ミルクの作り方と飲ませ方
ゲップの出し方を教えて貰う。
その後は夜泣きで
全く寝られない事もなくなり安定し
母子共に元気に退院!
と思いきや。。

退院前の内診で
まず、抜糸
涙ちょちょ切れそうな痛さ。
ものの五分だったけれど。
そして、
悪露の掻き出しと消毒。
少し出血があるかもとの事で
50cmはある長さの
どデカイ尿パッドを付けられる。

内診終わって
病室に戻ると退院の迎えに
早めにオカンが来ていた。
抜糸して来たわー!と
立ち話を始めたその時
ちょろっと悪露が漏れ始めた?
あ、あ、なんか、これは
ヤバげ…
一瞬にして
足を伝って血がだだ漏れる。

丁度通りかかった助産師さんを
慌てて呼びつける。

病室の床が血だらけの惨状に…

子宮にたまっていた血液が
掻き出した事によって一気に
出て来ただけだから大丈夫、と
落ち着かせてくれる。
時々こういった人がいるようだ。

自分自信の意識はそんなに
慌てはしなかったけれど
知らないだけに
ん、もしかしてヤバい状況?
うっかり死んだりする?
などと一瞬の出来事の中で
考えてしまった。

片付けて貰って一呼吸つくも
目の前が白くなり目眩
産後、貧血があると
診断されていたので
血圧も更に下がって
内診後、元気に退院!のはずが
夕方まで横になる事に…

それでも夕方にはなんとか
起きれるまでになって
よれよれのまま無事退院。

出産は本当に何があるか
わからない事を実感。

分娩より衝撃だった退院日
あの出来事がもう遠い昔のように
思える母の脳の切り替えもまた
すごい。